あなたは自分が何歳まで生きると感じているでしょうか?
日本は寿命が伸びているので、
「80歳は生きるだろう。」
の方が多いでしょうし、
「100歳もいけそうだ。でも、ボケや寝たきりになるかも・・」
な方も結構おられると思います。
私も100歳はいけそうだと感じていますが、
「120歳の健康長寿を目指そう。」
と冗談ではなく思っています。
「120歳まで生きるなんて考えられない。」
と思われるかと思いますが、あなたが80歳を超えていて健康に自信がなくても
「これからの生活次第で120歳まで健康に生きる可能性がある。」
ことをこの記事を読むと納得できるようになります。
では、その理由を示していきますのでご覧ください。
生物学的に人間には120年の寿命がある=テロメアからの実証
私たちの体は細胞分裂を繰り返して再生しますが、細胞分裂は無限に行えるのではなく「回数制限」があります。
細胞分裂ができなくなると細胞は再生できなくなるので、衰えてゆき死を迎えることになります。
人間の肉体の寿命には生物学的な限界があるわけですね。
その仕組みはDNAの端にある『テロメア』にあります。
細胞分裂のとき、二重螺旋構造のDNAは螺旋がほぐれて左右に分かれて各々のコピーを作ります。
しかしDNAの端にある『テロメア』の部分はコピーされず、テロメアは細胞分裂の度に少しづつ切り取られて短くなります。
こうしてテロメアが短くなっていくと、ついには細胞分裂が出来なくなるのです。
テロメアは「命の回数券」と呼ばれていて、人間の場合は50回が限界と見られています。
この回数から人間の肉体の寿命は120年と研究者達は結論しています。
120年の寿命があるというのは明るい情報です.
しかし、それが絶対ではないことをい見ていきましょう。
トーマス・パー(152歳)と李青雲(256歳)更には500歳?
歴史上実在した人物であるトーマス・パー(1483年?~1635年)は152歳まで生きたと言われています。
彼はスコッチウイスキーのオールド・パーが名前をちなんだイギリスの農夫です。
パーは自分の長寿を菜食主義と節度のある暮らしにあると考えていました。
ところが、1635年にパーに関心を持った貴族がチャールズ1世にパーを拝謁させるために連れていったロンドンで亡くなりました。
食事が贅沢になったことが大きかったのでしょう。
現代になって、血液循環を発見したことで知られる内科医のウィリアム・ハーベイがパーの検死を行っています。
その検視報告書がパーの実年齢が70歳未満だったことを示唆していることから、パーの伝承は祖父と混同されているとする説があります。
しかし、パーの年齢は彼の父と彼の小作地の借地契約書の更新で出生を辿ることができるのです。
ということは、検視報告書は152歳のパーは未だ70歳未満の身体だったことを示すことになります。
実際、パーは105歳の時、たぐい希な美人といわれた、キャサリン ミルトンとの間に不義の子ができて教会に罰せられました。
パー爺さんはモテたんですね。
私はオールド・パーの独特な風味が好きでよく飲んでました。
トーマス・パーもビックリな、実在が確認されている人物に李青雲がおります。
1677年に四川の綦江県に生まれる。
1930年にニューヨークタイムスが実在を確認して一躍注目される。
1933年256歳で死去。
李青雲は父が漢方医で自身も10歳で漢方医になりました。
自分が採取する薬草に長寿の効能があると確信して
霊芝・朝鮮人参・ツボクサ・クコの身・ルドクダミ・米酒
だけで40年以上生活しています。
・1749年に71歳で格闘技の講師として軍隊に入隊。
・23回の結婚で200人を超える子供を持った。
・500歳の老人に出会い、気功術や食事法を学んだ。(弟子の記録)
・1827年150歳の誕生日を祝った。(清朝時代の公文書)
・1877年200歳の誕生日を祝った。(清朝時代の公文書)
500歳の老人まで登場しますが、彼のことは不明です。
李青雲は1736年生まれの197歳という説もありますが、それは些末な問題です。
トーマス・パーや李青雲のような人物を知ると、120年の寿命は絶対ではないと思えてきますね。
ここで、細胞の寿命が驚異的に伸びることを示した実験を見てみましょう。
これを知ると、パーが贅沢な食事に変わってスグに死んでしまったことも納得です。
カレル博士の鶏の心臓細胞の培養
1912年にノーベル生理学医学賞を受賞したフランスのアレクシス・カレル博士(1873〜1944)は、ニワトリの卵の胚胎からとりだした心臓組織細胞の一片を培養することで29年間も生かし続けました。
培養液の中の細胞は、細胞が出す老廃物によって液が汚れると栄養を与えても増殖できなくなって死んでしまいます。
しかし、細胞が出す老廃物を培養液から常に除去してやりながら、新しい栄養液を補ってやると鶏の細胞は増殖を続けたのです。
その細胞は29年間で死んでしまいましたが、実は、博士の助手が老廃物を取り除くのを忘れてしまったからでした。
カレル博士は2年前の1944年に亡くなっており、培養は継続されていたのでした。
鶏の寿命は短くて3年、長くて10年です。
この実験から栄養を与えて新陳代謝によってできる老廃物を取り除いてやれば、細胞は驚異的に生き続けることが明らかになったわけです。
私たちの老化と死には細胞内の老廃物が大きく原因していると分かりますね。
ここで更に、私たちも120歳まで生きる希望を持てる、驚きの人生を生きた人物を紹介します。
79歳から身体を浄化して120歳の人生を楽しんだダイヤモンド船長
蒸留水による身体の有害ミネラルの浄化を勧めたブラウン・ランドーン博士が著書で紹介しているサンフランシスコのゴダート・ダイヤモンド船長という人物の例です。
ダイヤモンド船長は身体に堆積したミネラルで全身が動脈硬化になり、全く身動きできなくなっていました。
足と背骨は固まったままで、介助がないと椅子から立ち上がることも座ることもできませんでした。
腕は固まり、指も捻じれたままで、ナイフやフォークを使うことさえ困難でした。
そんな状態の彼は79歳のときから身体に溜まった有害ミネラルの浄化を始めました。
新鮮な果物ジュース(酸味のないもの)、菜っ葉、少量の穀類、少量の赤身肉、そして沢山の蒸留水を飲んだのです。
併せて簡単な筋肉運動を考案して行いました。
筋肉運動やストレッチで筋肉中の老廃ミネラルを血管に押し込み、蒸留水で溶かして排出されやすいようにするのはとても効果的だとランドーン博士は書いています。
ダイヤモンド船長の身体の浄化は9年近くかかりましたが、彼は健康を取り戻し、何と120歳まで人生を楽しんだのです。
・90歳で体育講師になる。
・102歳でカリフォルニアのサクラメントからニューヨークまで徒歩で大陸横断。
・1904年、104歳で世界最高齢の体育講師となる。
・110歳で16歳の女の子と一晩中ダンス。
驚きですが、とても希望の持てる話ですね。
ところで、ダイヤモンド船長の身体が硬化した原因はなんだと思いますか?
それは「水」です。
硬水に含まれるミネラルが蓄積されたのです。
ランドーン博士の父は心臓肥大で死にましたが、心臓の内壁3センチのうち1ミリ~4ミリの石灰がこびりついて固まっていました。
心臓の弁の底には4センチ近くも固まっていたのです。
17歳だったランドーン博士も父と同じ症状で、医者からは原因不明で3カ月と生きられないと宣告されました。
しかし、父親の解剖で原因を知ったランドーン博士はダイヤモンド船長に教えた方法で身体を浄化して完全な健康体を取り戻したのです。
身体の浄化にはミネラルウオーターや水道水ではなく蒸留水が必要です。
詳しくは、「硬水と軟水について知っておくべき事実まとめ」をご覧ください。
120年の寿命を健康で若々しく生きることができる理由
120年以上の長寿を生きた人物を見てきましたが、ボケや寝たきりになったり、ヨボヨボな姿では嬉しくないですね。
「元気で若々しい姿で長生きしないと意味がない!」
と苦々しい思いが湧くかと思いますが、ここにも希望はあります。
下のランドーン博士の写真をご覧ください。
50代に見えますが、98歳です。
実際に博士と会った人達は、ランドーン博士は90歳を超えているのに50代にしか見えないと驚いているのです。
博士は98歳で完全な健康状態で亡くなっています。
写真のランドーン博士は生気に満ちていますね。
蒸留水・食事・呼吸法などで身体の浄化を行っていたランドーン博士は2~4時間の睡眠時間しか必要とせず、
「私は実質的に、人生の後半50年だけで、100年を楽しみました。」
と述べています。
私はランドーン博士はまだまだ生きることができたのに、自分の意志で肉体から離れていったのではないかと疑っています。
それはさておき、健康と若々しさの秘訣は身体の有害ミネラルや老廃物を身体から出して浄化することだと分かりました。
そして、蒸留水こそが身体に溜まった有害ミネラルや老廃物を溶かしこんで体外に排出してくれるのです。
ミネラルウオーターや水道水では逆の恐れがあります。(「硬水と軟水について知っておくべき事実まとめ」参照)
これらの情報を知って私は蒸留水を飲むようになり、断酒・小食もして120年の人生を楽しむつもりでいます。
あなたも続かれては?